親のことは大切に思っている。
けれど、正直しんどいと感じる瞬間もある。
「もっと顔を出したい」と思いながら、自分の仕事や家族のことで頭がいっぱいで動けない。電話が鳴るたびに、心のどこかで「また何かあったのか」と身構えてしまう。
そんな自分を、誰よりも厳しく責めているのは、たぶんあなた自身です。
私自身も、そのひとりでした。
母を亡くしたときに知った、取り返しのつかない後悔
私の母は、長く精神的に弱い人でした。私自身、思春期の頃に登校拒否になり、母にはたくさんの心配と負担をかけたと思います。
若かった私は、そんな母を、正直なところ疎ましく感じていました。それでも長男が生まれたとき、「一応、顔だけは見せておこう」という気持ちで実家に向かいました。
長男を抱いた母の、いつになく嬉しそうな顔は、今でもはっきりと覚えています。
その一週間後、母は亡くなりました。
「なんでもっと話しておかなかったのか」
「どうして、小さい頃のように素直に甘えられなかったのか」
「もし今も生きていたら、何と声をかければよかったのか」
“いて当然”だと思っていた存在が、もう二度と手の届かないところに行ってしまう。その事実の前で、私は一年ほど、まともに立ち直れませんでした。
父のことで、今も揺れている自分
いま、足が悪く、ひとり暮らしをしている父がいます。
駅で転んでは救急車で運ばれ、そのたびに病院から電話がかかってきます。車で二、三十分の距離なので、行こうと思えば行ける距離です。
それでも週末は家族との時間があり、平日は仕事があります。電話が鳴るたびに、心のどこかで身構えている自分がいます。
同時に、
「何とかしないといけない」
「このままではまずい」
「施設のことも考えないといけない」
という声が、後ろ髪を引き続けています。
行かなければいけないのは分かっている。それでも、体も心も、すぐには動けない自分がいる。
母を亡くしたときの「取り返しのつかない後悔」と、今の父に対して感じる「正直、しんどい」という本音。
この二つの間で揺れているのが、今の私です。
コロナ禍で会えなかった、山形の祖母
もうひとり、忘れられない人がいます。山形に住んでいた、父方の祖母です。
毎年お盆には必ず帰省し、祖母の手料理を食べることが、私の人生の一部のようになっていました。特に、毎年送ってくれた笹巻きの味は、今でも鮮明に覚えています。
その祖母が、コロナ禍のなかで施設に入りました。面会は厳しく制限され、何度か会いに行こうとしても、ルールに阻まれて叶いませんでした。
最後に顔を見られたのは、お葬式のときだけでした。
「ありがとう」も、「さようなら」も、ちゃんと言えなかった。その後悔は、今も心に残っています。
だから、まちさぽを立ち上げました
私は、特別に強い人間ではありません。親のことを大切に思いながら、同時に「しんどい」と感じてしまう、ごく普通の子ども世代のひとりです。
だからこそ、よく分かることがあります。
親のために、自分の人生を全部差し出すのは、どこか違う。
かといって、何もしないまま親を見送ったときの後悔は、一生消えない。
この矛盾だらけの本音こそが、今の子ども世代が抱えているリアルだと思っています。
そして、その本音を「わがまま」だと責めるのではなく、親のことも、自分と家族の人生も、どちらかを諦める前に整理できる場所が必要だと考えました。
それが、まちさぽです。
まちさぽが大切にしていること
親の急変、施設、相続、お金、実家の整理、身元保証。親の老後にまつわる悩みは、ある日突然やってきて、相談先がバラバラになりがちです。
まちさぽは、親の老後に悩むご家族と、これからの暮らしを整えたいご本人のために、
家族や本人の状況を整理し、何を優先すべきかを一緒に確認しながら、必要に応じて専門家や地域資源へつなぐ
ことを大切にしています。
すべてを抱え込んで疲れ切る前に。
取り返しのつかない後悔を、ひとつでも減らすために。
たらい回しをやめて、相談先をひとつに。
最後に
親のことで揺れているあなたを、責める人はここにはいません。
「ちゃんとしなければ」と自分を追い詰めて、心も体も動かなくなる前に、まずは、状況を整理するところから始めてみてください。
親の老後を、ひとりで抱え込まないために。
あなたの生活を守り、親をととのえる。
その入り口に、まちさぽがあります。